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2023/10/15 エンジェルビーツ!

リオタールの「ポストモダンの条件」、そしてそれを参照した東浩紀の動物化するポストモダン、それ以降のオタク理論で言われるように、「大きな物語の終焉」(宗教、政治のあらゆるイデオロギーの衰退)における、イデオロギーと文化のねじれ: 大きな物語の終焉に伴う、その穴埋め補填としての、強力で分散的なサブカルチャー(しかし時に人は、終焉した大きな物語と、小さな物語としてのサブカルチャーを行き来する)というのは、ゼロ年代以降のオタク理論における焦点の一つと思う。しかし僕が思うのは、2000年代(ちなみに動物化するポストモダンは2001年の9.11のまえにかかれた)以降、「大きな物語」が時折、あらわになる様を何度か目撃するという点。世界を揺るがす宗教テロ、イスラム国、忘れていた大きな戦争または陰謀論、トランプ主義 etc...

例えば、ピンチョンの「ブリーディングエッジ」(2013)(サブカル世界、電脳世界、陰謀論、テロ、政治、宗教といったあらゆる世界観がごちゃ混ぜになった「マルチバース」的世界を物語、モチーフとしている作品)は、こう言った、ポストモダンにおける9.11以降の、「大きな物語」と、過剰に分散された「小さな物語」の「ねじれ」を非常に上手く描いている。

この視点は、かなり今の時代性を反映しているだろうし、初版から10年経った今でもアクチュアリティを持っていると感じる。

ぼくの父はアキバという聖地でコンピューターを盲信し、僕を不可避的にサブカルチャーに洗脳しつつも、両親は僕が生まれてすぐにカトリックの洗礼を受けさせ、ラファエルという天使の洗礼名を僕に与えてもいる。僕はこの二つの二極化した大小の物語(かつ、西洋の宗教文化と日本のオタク文化という対立)を、くらくらしながら生きていた。それが僕のアイデンティティだった。

そして僕は今気づいた。あ、そうか、ぼくはオタクの宗教音楽を書けば良いのか。このねじれを含みつつも、それをつくる必然性はまったく揃っているではないか。

よし、今からまったく新しいキリスト教音楽の作曲をしてみようと思う。

思い出すのは「Angel Beats!」と「灰羽連盟」

「神も仏も天使もなし」と言いつつも、神を信じる仲村ゆり。
AngelBeats!(2010)